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142月 2020

おばちゃん家庭医、異業種の彼に学ぶ

鳥取大学地域医療学講座発信のブログです。
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彼とは初期研修医のとき、友人の紹介で出会った。

合コンでは職業を正直に言えば一線を引かれ、同僚男性の目線は看護師さんに向いてるのを横目にドン引きし、かといって真面目に職業キャリアを優先していれば、いつのまにか婚期を逃す女性医師の話を見聞きしている日常だった10年前。

男を見る目がないわたくし、それまで何度も医学生のパートナーに裏切られた経験から、“医者は浮気する”レッテルをマイルールに、教師志望の彼に(今がタイミング!この人しかない!)と必死にしがみついた(笑)。

備忘録として、私が可愛いかった若手研修医からおばちゃん家庭医になるまでのこの10年、彼から学んだエピソードを挙げていこう。

 

「みなちゃんみたいな医者に診られるくらいなら、死んだほうがいいと思うかもしれない」


ある当直の夜。10代女性が発熱と腹痛で父親と夜間受診した。
(女性を見たら妊娠と思え!)という覚えたてのクリニカルパールを胸に、妊娠も否定して、仮診断をつけて上級医に報告し、対症療法として無事に診察終了。

私「妊娠の可能性についてはっきり答えないから、“尿検査で妊娠反応を見ますよ”って、お父さんにも言ってやったわ」。こんな診療をしてるんだよ、と話してみたかっただけなんだけど。

彼「そう……。その子は同じことがあっても、もう二度と病院に行かないだろうね。みなちゃんみたいな医者に診られるくらいなら、死んだほうがいいと思うかもしれない」。

がーーーん!!!!
……いや。私は何をつけあがっていたんだろう?
その子が何を思い、何を心配していたかを知ろうともせずに。

自分の忙しさと変な自信過剰で、一人の10代女性を父親の前で恥ずかしい思いをさせ、傷つけてしまった。
(医者だからって、権威をちらつかせて調子に乗っているんじゃないの?)って、彼の言葉の裏に感じた。

 

タテマエをホンネにして生きる


彼の教員正採用も決まり、私も初期研修修了見込みとなり、いよいよ結婚の話が出てきたとき。
私の両親は当初、いい反応を示さなかった。

職業や収入の違い、つまり私が医師で彼が教師で、どちらも一般的に楽な仕事ではないし、女性である私のほうが高収入であるという事実を、男性である彼は受け入れて気持ち良くやっていくことができるのか?という問いかけとともによく考えるようにとの話だった。

確かにタテマエでは職業差別はいけないと言うが、現実問題、男女の収入差で夫婦間がぎくしゃくすることもあるのか……。親の言うことをよく聞く長女のわたくし、親に言われたことをそっくりそのまま彼に伝えた。

彼「みなちゃんは、親御さんの言う通りだと思うの?自分のアタマで考えてモノ言ってる?帰ろう」。

えーーーー!!!ちょま!!!!
何が彼の気に障ったのか、さっぱりわからない鈍感なわたくし。
せっかくドライブで彼の夢だった甲子園の手前まで来ていたのに、車はくるりと方向を変えて米子に向かった。車の中には重たくて、張り詰めた空気が沈黙を誘う。

彼「……世の中の多くの人が食べていくために、やりたいことをあきらめて“ライスワーク”をしている中で、やりたいことを“ライフワーク”にできた自分は恵まれている。やっとなれた教師という職業に自分は誇りを持っている。そこに収入の高低なんか気にする余地はないでしょ。こんなことをうちの親が知ったら悲しむし、それがあなたの本心なら結婚はできない。俺はこれからも、タテマエをホンネにして生きていく」。

それから、私がどうやって動いて婚約破棄を防いだのか、記憶がない……(笑)。
覚えていないということは、かなり必死だったのか……。

でも、(結婚しようという身になってまで、親の言うことをそっくりそのまま真に受けるのは自立していない証拠なのか)。(女性が男性より稼ぐことを気にする男性は、時代錯誤なのか器が小さいということなのかもしれない)。(職業に誇りをもつというのは、タテマエでなくホンネでできること)と自覚したのは確か。

今では問題提議してくれた両親にも感謝している。

 

「明日やめてやる!」って思いながら、思い切り仕事すればいい


若手医師の頃は、未熟な部分が多々あり、患者さんや家族から厳しい言葉をかけられることがあった。

それに、患者・家族やスタッフの顔色が気になって、何を優先にすべきか、思い切った決断ができずに悶々としていることが多くて。

小柄な女性ということもあってか?単純に私がもたもたしていたからなのか?、男性患者に恫喝に近い声で怒鳴られたりもしたなぁ。

もうそんな怖い目に合わないために、“ハッタリ”かまして強いふりして賢いふりして、診療をなんとかこなしていた。自信なんて微塵もない内面を隠して、目の前の人にいつも嘘をついているような罪悪感も感じながら。

地域病院では医師も少ないので、上級医のフォローもなく自分で切り抜けなければならない日々。
(地域医療なんてもうやだ!すべての責任が自分にあって、重たくて苦しい。もう辞めたい……)。
そんな愚痴を彼に話していたときだったかな。

彼「“明日やめてやる!”って思って思い切りやってみなよ。そう思ったら見えてくることやできることが変わってくるかもよ」。
そう言われたらなんか元気出てきた。
アドラー心理学の『嫌われる勇気(*1)』に近い導きだったのかもしれない。

 

「あなたはあなたの、私は私のやるべきことを、あなたはあなたに、私は私に出来ることを、淡々とこなしていけば世の中は良くなるよ」


プライマリケア医として地方の中小病院で治療にあたり、それがベストで限界だと話しても、患者・家族は大きな病院の専門医受診を希望されることは多々ある。

ある大雪の日、そんな感じで、自分としては不本意ながら、家族の強い希望もあって急病の患者さんを大雪の中搬送した。
あきれ顔の専門医の先生からは「そちらの病院でもうちに来てもやることは同じですよ!」と、案の定わかっていた言葉をぶつけられ、(すみません……、よろしくお願いします)と頭を下げた。

帰り際、私がした同じ話を専門医がして、家族が納得してる場面を横目に見た。
私が話したときは納得してなかったのに……悔しさとふがいなさで胸が張り裂けそうだった。

その日の午前中には、お腹の疾患で入院中の患者家族に、「何ともないけどついでに頭のCTをとってほしい」と言われた。(これがいまの日本の医療の現状だ……)。
夜になり、すべてがつながり、地域医療医師としてのアイデンティティが揺らぎ、深い闇に飲み込まれそうになった。

異業種の彼には、どう説明したら理解してくれるか?
どうせわかってもらえないだろうけど、吐き出さずにはいられなかった。

それを嘆いたら上の言葉が返ってきた。
きわめて一般的な言葉なんだけど、心の荒波がサーっと落ち着いた。
どっかの宗教家!? もはやこの時点で、私はかなり彼に洗脳されてしまっていたのかも(笑)。

 

あれから10年、そしてこれからの10年


かくいう彼とは、つまり現在の夫のことである。

異業種だと、仕事の細かい内容はわからない。独特の大変さとか、置かれている立場とか。
でも、異業種だからこそ、自分の仕事の世界の“当たり前”を疑うきっかけをくれる。
そして、どんな仕事にも“誇り”はあって、「どんな心持ちで?」「何を目標に?」「何をやりがいに?」仕事をするのかは共通の課題だったりする。

そんな話を毎日でもしたいけど、忙しい彼はそんなにたくさんエサは与えてくれない。
というか、会話自体がない(笑)。

でもなぜか、私が本当にほとほと困りはてたときや、怒りや悲しみで心のボルテージがハイパーマックスになる寸前に、いい言葉(とかケーキとか)をくれる。
なんか、飼いならされてる!?え?私が単純すぎるとか!?

彼は常に自ら学び続け、公立進学高校の指揮官として、夢の甲子園にたどり着いた。
10年前、寸前でUターンしたあの場所に、2度も連れて行ってくれた。

「何かを捨てる勇気(*2)」を唱える指揮官に、真っ先に捨てられたのは私とのプライベートだが……(笑)。
“高校野球に専念すること”が結婚の第一条件だったから、(それなら私も自由に自分の道をいけるわ)と思って(←単純……)結婚したのだから仕方あるまい。

私も大学教員になったんだから、どうせなら彼が学んだタイミングでもっと教育のこと、教えてもらいたいんだけどな……世の中そんなに甘くないか。

次の10年は、彼に頼らないことと、年間1㎏ずつ増量した体重を減らしていくのが目標かな。

<注釈>
*1:『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え 』岸見 一郎 ・古賀 史健 (著)
*2:「何かを捨てる勇気を」は2018年夏、鳥取大会で初戦敗退した後、彼がチームに呼びかけてきた言葉

Author: 紙本 美菜子


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