ゆるい読書会「斗南先生」2021年8月
少し前の話になりますが、8月度の読書会の報告です。今回は参加してくれた学生のAさんに書いてもらいました。
今回の課題図書は中島敦の『斗南先生』です。中島敦といえば『山月記』『李陵』が有名で、特に『山月記』は教科書で読んだという方も多いのではないでしょうか。かくいう自分もその流れで読み、面白いなあ、と他の著作も読んで中高生の時期にはまっていました。ですのでこの作品も久々の再読という形にはなりますが、前述の2作に代表されるような中国古典モチーフな作品の印象が強い中での自伝のような作風、そして主人公のある感情の描写が強く印象に残っていたため、この機会に読み直したいと思い、推薦致しました。
(以下、いくつか物語のネタバレが含まれます。ご了承ください。)
初めて読んだ際、主人公の伯父・斗南先生に対する近親憎悪の描写に「うわっ、自分もこういうのあるな……」と頭を抱えながら読んだ記憶がありました。離れてから(作中では斗南先生の死後に)実はそこまで嫌いではなかったのではないか?という心境の変化があるというところも含めて、当時から一種のリアリティというか、生々しさを感じていたように思います。今回の読書会でもそういった経験があるという話をいくつか聞き、なるほど多くの人が経験しがちな感情なのだな、と分かると同時に、なぜ身内ほど一層苛立ってしまうのか、どうして嫌悪が薄まったのかといった疑問も挙がりました。
また、自分では(おそらくかなり主人公の対伯父の心情に視点を寄せすぎていたがために)気づかなかった視点からの感想や考察を伺うことができたのは非常に面白かったです。例えば、伯父の言行から見える戦前という時代背景や家長制度的な部分、主人公もしたような「どういったことが起因して伯父はこういうあり方なのか」といった分析、下地になっている漢文への造詣など……。特に、作中の病院での看護師とのシーンから斗南先生のような頑固な患者さんは結構おられるという話に移り、「自分は斗南先生のような人(特に患者)に対してどう接するか」というテーマが上がったのは、この読書会ならではの視点だなと感じました。
最後に、今回の読書会でこの作品を扱う中で、自分で読んだだけでは知識面で気づかなかったり、はたまた読む側のバックボーンの違いから思いもつかなかったような見方が出てきたりと、一人では読み取れきれない多くの側面を知ることができたのが何より楽しく、この作品に出合いなおせたようで興味深かったです。再読からの再発見の場として、あるいは自身の読まないジャンルの作品との出会いの場として、今後も楽しみながら参加していきたいです。