ゆるい読書会@とっとり『プリズン・サークル』参加報告
【令和4年5月 読書会を開催しました。参加者のお1人に感想を寄せて頂きましたのでご紹介します。】
2022年5月、私は久々にこの読書会に参加した。
映画『プリズン・サークル』の書籍版を読み、集まったメンバーと語りあった。
プリズン・サークルは、10年に渡って刑務所を撮影したノンフィクション映画で、受刑者がお互いの経験を語りあう『TC(回復共同体)』というプログラムを通した心境の変化や心の交流を捉えた作品だ。
この映画は実は一般的な映画館では上映されていなくて、自主上映というシステムでしか観ることができない。なので、私はこの映画を観ることができてない。
なのに私がなぜどうしてもこの回に参加したかったかというと、プリズン・サークルを観たことのある人から「あの映画はすごかった。話していいんだっていう雰囲気があることが自分の居場所なんだって思った。」という話を聞いたことがあってずーっと気にかかっていたからだ。
その映画の本が出版されたことを孫先生のFacebookで知って、ぜひ読書会で取り上げてくださいとお願いした。
読んでみた感想は、登場する人物の語りに、他人ごととは思えないリアルさと納得感を感じたこと、そして、罰することについて、自分の中でまだそれが正義だという気持ちがあることの矛盾だった。
読書会でも注目されていたワードとして、感盲、暴力、償い、サンクチュアリ、アンラーニングがあった。参加したみんな、自分の中の感盲(自分の感情にふたをしてしまうこと)、暴力性と、登場人物の感情を照らし合わせていた。暴力によって傷ついた経験を吐露する人もいた。
受刑者の犯した罪、その行動の根元にあったのは実は自分の存在を否定されたことやいどころのなさといった、多くの人が社会の中で体験したことのある苦しみだった。
ならば、暴力の連鎖を止めるために必要なのは、罰ではなくて、サンクチュアリ(安心して語り合える場所)を作り出すことだ。
これは、オープンダイアローグの趣旨ともかなり共通している。精神疾患や依存症の分野でも守られた環境での対話、自分の体験や感情を語ることが心をほぐす。逆に言えば、サンクチュアリを日常の中に作り出すことができれば、もしかしたら、この社会が抱えている様々な問題は未然に防げるものかもしれない。本書でいうなら犯罪だが、うつや自殺、いじめや虐待も同様だ。
サンクチュアリを作り出すためには互いの存在を許容しなければいけない。共感とか、こうあるべきだという正しさを求めるより、どうやったらお互いの存在を許容しながら共生できるのか考えることが必要なんだと思う。
このシンプルな思考を、感性が受け入れられるかという問題がある。法を犯した人、誰かを傷つけてしまった人、周りの人を騙して生きてきた人、その人と関わる時、自分が恐れや不信感を持つことなくフラットにいられるのか?もし自分や、大切な人が被害者だったとしたら?その答えはまだ、はっきりしない。
『プリズン・サークル』の舞台は刑務所だが、これは「刑務所についての映画」ではない。語り合うこと(聴くこと/語ること)の可能性、そして沈黙を破ることの意味やその方法を考えるための映画だと思っている。
(『プリズン・サークル』プロローグ17ページより)
私はまだ、プリズン・サークル本編を見ることができていないけど、語り合うことの可能性、沈黙を破ることの意味は知っている。まさにゆるい読書会のような空間が、自己表現の下手な私にとっては、その場所になっている。それは間違いなく体感している。だから、そうゆう場所が社会の中にもっと増えると良いなと思っているし、自分と関わる人たちにとって、私自身がなんでも語り合える存在でありたい。
そういう自分の中の気持ちを再確認した読書会でした。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
興味が湧いた方はぜひ、プリズンサークルを読んでください。そして、友達や家族と語らってください。
ひとりひとりの小さな一歩が、大きなうねりになって、苦しんでいる誰かの心に届きますように。
(初期研修医 奥谷)