ゆるい読書会@とっとり:『母親になって後悔してる』を読む
今回のゆるい読書会では、イスラエルの社会学者オルナ・ドーナト氏の『母親になって後悔してる』(新潮社, 2022年)が課題本です。この本は、口にすることが憚られがちな「母親の後悔」について敢えて研究し、「子どもを産んで一人前になる」というアンコンシャスバイアスに苦しむイスラエルの25名の母親の後悔の語りを記録した本です。今回の参加者は、現役医学生の20代〜60代までの老若男女5名。子どもがいる方、いない方、子どもが嫌いだったが自分の子を持ったら驚くほど変化したという方など様々で、立場の違う声に耳を傾ける時間でした。
まずは、声をあげられない人の声を拾っているところに価値がある、後悔している人のサンプリング手法が優れている、など研究として優れているという意見がありました。センシティブな話題であるからこそ、徹底的に「後悔」している人の声を集めることで説得力が増します。
また「後悔」は子育てが忙しい時期の一過性のもので、子どもが育ち、手が離れれば薄れていくものかと思っていましたが、祖母になっても後悔は残り続けている人も多数いることに驚き、根の深さを感じました。母親になった後悔を口にすることは子どもの存在の否定へつながるようで内在化しやすいとの意見もありました。しかし本の中には、後悔は「母親になったことであり、子どもではない」とその二つを切り離すべきだとあり、とても新鮮でした。
話題になったのは、「誰のために子どもを産むのか?」ということ。医学生の女性参加者は、人から「女医はモテない」と言われ、「モテるために生きているわけではない」と思う一方で、「これだけ少子化が謳われる中、できることならば子どもを産んで貢献したいという思いもある」と言っていて、社会の言論に振り回され、葛藤する若者の頭の中を垣間見ました。
私自身は、本の中に出てきた「子宮主導の経験」ということばに、助産師として共感しました。出産の場面は、確かに頭で考えるというよりも本能・獣的なところがあると感じます。それを「本来の自分に戻る」ことだとポジティブに捉えていましたが、必ずしも誰もがそういう状態になることを望んでいるわけではなく、押しつけることは苦しみにつながるのだと、この本を読んで気づきました。
出産の、子育ての主体は誰なのか。女性自身ではなく家族や、社会の意思になってはいまいか。リプロダクティブヘルス–––自分のからだのことは、自分で決める。声をあげずとも心の中に誰もが少しは感じる「後悔」を、うちに込めずに言葉に出していける安全な場を少しずつでも作っていくことで、子どもを産む前に自分の本当の思いに気付ける人も増えていくのではないかと感じました。
(助産師/コミュニティナース 中山早織)