ゆるんだバウンダリー、忖度の温床、そして、ガバガバなガバナンス
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「ここまでは自分の領域、ここから先はあなたの領域」と、自分と他者との境界を線引きする「人間関係の境界線」をバウンダリーと呼びます。今回の「教室員たちの〇〇な話」では、自分と他者との境界に関する私見をさまざまな視点から述べます。むずかしい言葉を知ったかぶりのように使いますが、どうかお許しください。
人見知りと塩対応を逆手にとる
筆者は元々人見知りで悩んでいました。「こんなことを言ったらどう思われるだろう」という心配があり、人と話すことが苦手でした。年齢を重ねるにつれ、さまざまな背景を持つ患者さんなどと接し、人前で話をする機会が増えましたが、若いころのように緊張することが少なくなったように思います。振り返ってみれば、自分の知らないうちに人見知りであることを逆手に利用するようになったのもしれません。できるだけ筆者は相手のことを事前に調べ、状況に応じて相手との距離感を調整しながら慎重に言葉にしてきました。無理をして明るく振舞うことは好まないため、人からは塩対応とみられるかもしれません。
共感は他者との境界線を越えないことによって成り立つ
他者の感情や経験を理解して感情的なつながりを築くプロセスとして「共感」があります。これは、相手に感情移入することではなく、他者を理解しようとする手段として役立つものです。たとえば、友人の話をきいて涙が流れたとしても、友人は一緒に泣いてほしいと思っていないかもしれません。また、そっとしておいてほしいと思っている友人に何度も話しかけると、友人はどう思うでしょうか。
このように、自分がされてうれしいことは相手もそう思っているとは限りません。共感はあくまでも他者との境界線を越えないことによって成り立つものと考えることができます。
ゆるんだバウンダリーは二重規範につながり人間関係や社会の崩壊につながる
バウンダリーがゆるんでしまうと、無意識に他者のプライバシーや権利を侵害する可能性があります。また、他者に過度に依存したり干渉しすぎたりすることで、人間関係に緊張をもたらすことがあります。たとえば、夫婦や親子関係の不和は、お互いに踏み込んではいけない一線を大きく超えたことが一つのきっかけになるかもしれません。
自他ともにバウンダリーがゆるんでしまうと、相互依存関係が形成され、お互いの領域に無意識に侵入しあうことで善悪の判断までがあいまいになります。そして、特定の個人の利益を優先するための忖度(そんたく)などの見えざる力がはたらきます。性加害で国際問題になったいくつかの芸能事務所と一部マスメディアとの蜜月の背景には、無意識かつ恣意的に他社や他業種との境界をこわしてきた成長戦略があるのではと筆者はみています。
バウンダリーを意識することは企業ガバナンス、つまり健全な企業運営を行う上で必要な管理体制の構築に不可欠な要素であると筆者は信じています。職員の立場や役割が不明確であると情報共有が妨げられ、意思決定が混乱する可能性が高まり、職員や企業運営、ひいては社会に不利益が及ぶかもしれません。また、職員個人のストレスの増大や人間関係の悪化、プライバシーへの過度な干渉が突然の離職につながる可能性もあります。最近、若年層を中心に酒の力で人の境界を踏み越えていく「飲みニケーション」が廃れてきた理由には、公私を線引きすることを大切にする機運の高まりがあるのかもしれません。
ここで伝えたかったこと
このように、日常生活で自分と他者との線引きを意識することで、他者とのコミュニケーションスキルや共感力を向上させることができます。一方、バウンダリーに無頓着であると、他者を無意識に傷つけ、職場や社会の不利益にもつながる可能性があるため、適切な他者との線引きや役割の定義などが重要であると考えられます。
Author:浜田 紀宏(日南町国民健康保険日南病院)
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