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308月 2020

悶えることで加勢する

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石牟礼道子の『苦海浄土』を読んだ。

いわゆる「水俣病」について書かれたドキュメンタリーである。彼女は40年もの歳月を費やし、『苦海浄土』三部作を完成させた。まさにライフワークである。

誰もが教科書で教わる公害病の代表でありながら、私はこの本を読むまで、水俣病の現実について何一つ知らなかったことを痛感し、そんな自分を恥じた。

 

 

「水俣病センター相思社」理事 永野三智さんとの出会い

『苦海浄土』を読む前に、水俣を訪れたことがある。その日、残念ながら水俣病資料館は休館であった。

しかし、民間の資料館を併設している「水俣病センター相思社」が開いているという。そこは、後から知ったのであるが「袋」という水俣病患者が多発した地域で、その建物は小高い丘の上にあった。車を停めて建物に向かうと、玄関から若い女性が「どうぞ、お茶でも飲んでいきませんか?」と声をかけてくれた。それが相思社理事の永野三智さんであった。

その後、永野さんから数時間にわたって、水俣病の歴史や、被害者救済の活動について詳細に伺うことができた。目から鱗が落ちる思いであった。

水俣病の政府による公式認定が1968年であるから、今から52年前のことである。しかし、2020年の今現在に至るまで、水俣病の影響と思われる症状に苦しんでいる人々が多数存在し、永野さんはそうした人々の相談に乗りつづけている。

 

 

「悶え加勢」と医療者の「寄り添い」の共通性

その永野さんから「悶え加勢」という言葉を聞いた。彼女が、患者相談窓口の仕事をし始めて、どの程度のことができるのか悩んでいたときに、石牟礼道子さんからこう励まされたそうである。「悶え加勢すれば良かとですよ」と。

水俣では、他人の不幸をわがことのように感じ、なんとかしたいと悶える心性の持ち主を「悶え神さん」と呼ぶそうである。そばに苦しみ悩む人がいれば、その人の身になって苦しみ、悩み、悶える。

悶え加勢するとは、苦しんでいる人がいるとき、その人の家の前を行ったり来たりして、ただ一緒に苦しむことである。思えば、石牟礼道子その人も、もとは一介の主婦であったにも関わらず、中年期以降は水俣病患者の救済運動に奔走した、「悶え加勢」する人そのものだった。

この「悶え加勢」とは、医療や看護の世界でいう患者への「寄り添い」の姿勢の本質を表しているように思える。

 

患者、そして他者をケアする行為の本質を考える

医療者として患者に「寄り添う」こととは、究極的には理解しようのない苦悩を抱えた他者である当事者の前で、「私はあなたの苦しみについて何もすることはできませんが、ただ一緒に悶え、苦しむことで、あなたの傍にいます」という言明ではないだろうか。

そして、この他者への謙虚なまなざしにもとづく、祈りのような営みこそが、他者をケアするという行為の本質であるように私には思えるのである。

Author: 孫 大輔


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