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126月 2020

ゆったりとともにいる

鳥取大学地域医療学講座発信のブログです。
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コロナウイルス流行がどうなるかわからない時期は、鳥取県を出ることはできないのですが、そのおかげかオンラインで普段参加できない魅力的な勉強会に参加することができています。

最近、『Compassion(コンパッション)−状況にのみこまれずに、本当に必要な変容を導く、「共にいる」力』(ジョアン・ハリファックス著・一般社団法人マインドフルネスリーダーシップインスティテュート監訳)のオンライン読書会に参加しました。

そのなかで、「敬意とはなにか?」という議論がありました。

この本では敬意とは「振り返って見て、よく考えること」、軽蔑とは「下に見て、深く考えないこと」と書いてあります。相手に敬意を払う時、自分自身に敬意を払う時、自然に立ち止まり、振り返って熟慮するプロセスとも書いてあります。

 

 

軽蔑が敬意に変わるプロセスとは?

オンライン読書会でいろいろ議論されましたが、井上が残っているのは「軽蔑は反射的である」という言葉です。人を軽蔑する時は、自分の行動規範に則らないもの(人・物)を瞬間的に判断し、嫌悪感をもってしまうことがよくなるなあということを振り返ったからです。

この反射的に湧き上がってきた嫌悪感に「なんでだろう?」という「考える」プロセスが入ることで、その嫌悪感が敬意に変わる可能性が出てくるのかなあと感じました。

このオンライン読書会に本の監訳に関わった方が、アメリカから参加されていました。「軽蔑というものはお風呂のおならのようなものです。お風呂でおならをすると勝手に上昇して空気中に出ちゃいます。このように、軽蔑も自然にわき上がってしまいます。ただ、その軽蔑に自分自身が影響を受けるかどうかは選択できます。」ということをおっしゃっていました。

軽蔑というものが生まれないようにするのではなく、生まれちゃったものとどう付き合うかは自分自身にかかっているのはなんとなくわかりましたが、「でも人を軽蔑している自分っていやだなあ……」という言葉も自分の中に出てきました。

 

 

すぐに答えを出そうとせず、ゆったり考え続けること

医療の現場でも、「患者さんに敬意を払いなさい」とはよく言われることです。しかし、「敬意を持つべき」と考えると、逆に敬意を持てない患者さんを目の前にすると医療者は苦しくなります。

敬意を持つということは「振り返って見て、よく考えること」、つまり患者さんについて「決めつけずにどんな人なのか考え続けること」が求められているのかなあとは思います。医療者はいろいろな決断を求められていますが、患者さんに敬意を払うことについては、考え続けることでそれが達成できるかもしれません。

オンライン読書会に参加してみると、普段しゃべることができない人ともしゃべることができます。

17世紀のペストが流行して休校になったときに、ニュートンの3大業績(微分積分学・光学・万有引力)の着想は生まれていた、いうことを最近知りました。なかなかニュートンのようにはいかないのかもしれませんが、今の情勢下で普段とは違う学びが生まれているなあと思っている日々を過ごしています。

 

Author: 井上 和興


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