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286月 2021

二つの側面

鳥取大学地域医療学講座発信のブログです。
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医療にはサイエンスの側面と、アートの側面があります。医師の働き方や教育法を扱った本にもしばしば「アーティスト」という表現が登場します。なぜアート?と思われるかもしれませんが、健康や命をテーマにして人間同士が接する事は多様性が強く、当事者である人間の個性が反映されます。その点である意味、絵を描いたり彫刻を彫るようなアートとも言えます。

 

 

将棋を指し、感じること

話を大きく変えますが、私は趣味で将棋をしています。今はインターネットで全国の人々と将棋を指すことが出来ます。2017年にプロ棋士の藤井聡太さんがデビューから29連勝したことで大きな話題になりましたが、そのときに将棋の中継を見ていて、もっと理解できたら面白いだろうと思い、空いた時間に勉強を始めました。

今回、将棋の話を出したのは、上記のサイエンスとアートの話に通じるものを感じたからです。近年、将棋を取り巻く環境は人工知能の登場で大きく変わったそうです。以前はコンピューターが将棋でプロ棋士に勝つことはあり得ないと言われていました。しかし、2010年頃からは人工知能の学習方法が進歩して、徐々にプロ棋士が負けるようになり、2017年には当時のトップ棋士が2連敗し「人工知能はプロ棋士より強い」と大きく報道されました。

この頃を境に、将棋界は「人間vs人工知能」の時代から「人工知能を使ってもっと強くなってやろう」という共存共栄の時代に入ったと評する声が多くなりました。将棋の勉強法に変化が生じ、昔は強い棋士の考案した作戦を各棋士が自分で考えて発展させる方法が主流でしたが、今は多くのプロ棋士が将棋用のコンピューターソフトを持っていて、そのソフトが示す作戦を参考にしながらより良い作戦を立てるべく研究をしています。しかし、落とし穴もあって人工知能を使った研究に頼りすぎると、人間が普通に考えていれば思いつくはずの自然な一手を見落としてしまうことがあるそうです。

 

 

人工知能が将棋界にもたらした大きな変化

今、将棋には「評価値」という指標があります。人工知能が局面を解析し、「現局面での先手の期待勝率70%、後手の期待勝率30%」という風にどちらが有利なのか数値化したものです。今ではほとんどの将棋中継番組で画面に評価値が表示されており、将棋が分からない人でもどちらが有利なのか一目で分かるようになりました。もちろん対局者には、対局終了まで評価値は見えていません。この評価値には賛否両論があります。

賛成意見は「初心者でも形勢がすぐ分かるようになり、以前よりずっと見やすく将棋の普及にも大きく貢献した」というものです。得点が分かるスポーツと違い、プロの将棋は素人がみてもどちらが有利なのか分からないと言われてきましたが、数値化されたことで分かりやすく観戦できるようになりました。人工知能がプロ棋士に勝っていく過程を見た将棋ファンの中には「このままだと人間同士の将棋の意義が失われるのではないか」という声も上がっていましたが、結果的にはそうなりませんでした。むしろ人間の感情面が強調されて、より魅力が増したように思います。人工知能が局面を解析・表示することで、対局者がとても難しい判断を短時間の内に迫られている緊張感、正解の選択肢を選び続けて勝ったときの感動や、間違えてしまい急転直下で負けたときの喪失感など、人工知能が進歩する前の時代では視聴者に伝わらなかった暗黙のドラマがきちんと伝わるようになりました。もちろん、時代の変化に合わせて将棋界の人々が、新しい普及・宣伝の形を工夫していった点も大きいです。

反対意見は「評価値には対局者の感情が含まれていないし、人工知能の判断は時に人間の形勢判断とかけ離れている。それだけで評価されて良いのか」というものです。たとえば、勝てそうな局面を迎えているのですが、自分の持ち時間は残り少なく、勝てそうなのは分かっていても実際にどうやって勝つかまでは読み切れていなかったとします。「分からないが時間も無いし、とりあえず守りを固めておこう」と安全そうな手を選ぶのが人間の心理でしょうが、その手が人工知能によって悪手と判定されたとします。すると中継画面に表示されている評価値が低下し、それを見た視聴者の中には「度胸がない」「分かってない」と批判する人も出てきました。その選択ミスが何回か重なって結局負けてしまうと「有利だったのに負けるなんて、弱すぎる」「この人の実力は所詮この程度だよ」と叩かれることも増えました。評価値が無い昔なら視聴者のほとんどはアマチュアなのでプロ同士の将棋を観ても、その凄さに息をのむばかりで、敗者に対しても「惜しかった。でも凄い戦いだった。」とリスペクトを込めた声が上がりこそすれ、「この人では、正解が分からないのか……」という批判の声はあまり上がりませんでした。

 

 

さまざまな物が持つ二つの側面とバランス

印象深かった話を1つ引用します。取材に訪れた記者が対局を終えたベテランのトップ棋士に「コンピューターはこのような手を指していれば良かったと示していましたが、どう思いますか」と質問し、対局者は「分かりません」と答えました。

そのあと打ち上げの席で、その対局者が記者に「あのとき指摘された手は実戦では全く考えませんでした。だから私にとっては全く思い入れがないんです。そこを後からつついても響くものはないし、残した棋譜に対して敬意を欠いている気がします。例えば私が1枚の風景画を描いたとします。でも後から『あそこに月を加えた方がよかったんじゃない?』と言われても困ります。たとえそうだとしても、その発想がない人間に言っても仕方が無いと思うんですよね」と自分の思いを話したそうです。

私はこの話を読んで、将棋というゲームに対し、数学の問題を解くように最善の解を求めるサイエンスとして捉える人もいれば、自分の考え方・感性を表現するアートとして捉える人もいる……もし前者なら人間を越えた演算力を備えた人工知能の導き出す結論が大切だし、後者なら人間が自分で編み出した独創的な一手が大切だろう……と思いました。

 

医療でも科学と人間の感情、両方の要素が大事なのは当然ですが、そのバランスの取り方が難しいと思います。患者が直面する様々な問題について、医学的に最も有効な方針が分かっていればそれを提案すれば良いと思いますが、副作用への不安など、個人の感情も考慮しなければなりません。

「不安に思われるならこの治療はやめましょう」と言えるときもあるし、「不安だとは思いますがこの治療をしないと命に関わります。一緒に頑張りましょう」と言うべき場合もあります。また医療者自身にも感情があります。上に書いた対局者の心理のように、危ない橋を渡るよりは安全に物事を進めたいと思う医療者が多いのではないでしょうか。その心理が適度なブレーキになってくれるときもあれば、かえって判断を鈍らせてしまうときもあります。人工知能には不安や恐怖が無い……その点では私は人工知能のことを羨ましいと思います。一方で、不安や恐怖を感じられる医療者でなければ患者側に寄り添うことは不可能だとも思います。自分が使いこなせる正しい知識と、医療に関わる様々な人たちの感情の両方を大切にしながら日常の臨床に取り組んでいきたいと思います。

Author: 今岡 慎太郎


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