患者さんと共にあるということ
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『答え』が出ない時
臨床に出るようになり『答え』がすぐに出ない場面に遭遇する様になった。ここで言う『答え』とは病名の事もあるし、病気の治療法である事もある。或いは病気に対する今後の生活の不安や、そのような気持ちに対する対処法という場合もあるかもしれない。患者さん投げかけに対し、すぐに完璧な『答え』を返したいと欲する臨床医がほとんどではないだろうか。だが、現実にはすぐに『答え』が出ない事も多分にあるのだ。
すぐに『答え』が出ない場合、まず僕は診断する為に不足している情報や検査結果はないか、疑念と落胆を抱き自らの診療を振り返る。同時に、もし「分かりません」と言って患者さんの期待を裏切ったら、患者さんの信頼を失う事にならないだろうか、と不安になる。疑念、落胆、不安……いずれにせよネガティブな感情である。(こうしたネガティブな感情の事を我々の間では「陰性感情」と呼ぶ。)
『答え』が出ない事で困るのは医者だけではない。患者さんにとっても『答え』が分かるかどうかは重要かつ切実な問題である。せっかく来たのに『答え』がすぐに出ない事が分かったら、苛立ちや落胆、怒りといった陰性感情を抱く方は多いのではないだろうか。中には『答え』がすぐに出ない事に陰性感情を抱いた患者さんと医療者との間でトラブルに発展する事もある。『答え』が出ない事は患者さん・医療者、共に重大な問題なのだ。
すぐに『答え』を出す事は良いことか?
診断で『答え』が出ない時、医師は『答え』を出す為に色々な検査をするが、調べてもこれといった原因にたどり着かない事や、診断まで辿り着いても、根本的な治療法がない場合もある。残念ながら、存外このタイプの病気は多く、この場合は症状の緩和目的の治療(いわゆる「対症療法」)をしながら患者さんと長期にわたって向かい合う事となる。
この時、『答え』が出ない事によるトラブルを過度に避けようとすると思わぬ落とし穴に嵌まる事がある。たとえば、右上腹部痛を訴える患者さんを診たとする。右上腹部痛を呈する病気で頻度が多いのは胆石症や便秘症、胃炎、尿路結石、等々である。これらの疾患を頭に浮かべながら医者は各種データを確認し、CT画像で尿路結石を認め「なんだ、尿路結石だったのか」と安堵する。こうなったらもう、この医師の中ではこの患者さんは「尿路結石の患者さん」以外の何者でもなくなってしまう……たとえ、検査で尿路結石に合致しない所見が含まれていても。こういう診断エラーの事を「診断の早期閉鎖」と呼ぶ。
また、尿路結石だろうと見切り発車で鎮痛薬を開始したらどうなるであろうか。もしかしたら鎮痛薬は効くかもしれないが、その事で「痛み」という重要な所見が消えてしまい、却って『答え』から遠のく結果となる事もある。
もしかしたら、患者さんも「あなたは尿路結石です」と診断された事で、「なあんだ、俺は尿路結石だったのか」と安心して、仮に尿路結石に合致しない症状が出現したとしても「でも、この前かかったお医者さん尿路結石って言われたしナア……」と医療機関への受診を躊躇し、その結果、隠れていた病気が悪くなってしまう事もあるかもしれない。
その一方で、命の危機が迫っている場合は拙速に治療を開始したことで命が救われることもあるし、患者さんの苦しんでいる症状に対処することで患者さんを支えることは多くの医療者にとっての根源的な喜びである。ここで言いたいことは、すぐに『答え』が出るという事は、必ずしも良いことばかりではないということである。
患者さんと共にあるということ
『答え』に容易には至らない治療をすることを「旅」に例える事がある。旅と言っても現代の飛行機もあれば新幹線もある、そういう快適な旅ではなく、昔ながらの苦労を伴いながらも自分の足で歩く旅の事である。旅というからには山も谷もある。天気が良い時もあれば、大荒れの時もある。道に迷う事や、方角を間違える事、更には目的地を間違える事さえある。
こういう困難を伴う旅には「せんだつさん」が必要だ。もともとは四国のお遍路さんでなどの巡礼をする時に巡礼者を導く役割をする人の事を「先達さん」と読んだのが始まりだそうだ。こう言うとなんだか偉そうな人の様に思えるが、そういう訳でもないようだ。落語の世界にも先達さんは出てくるが、大抵は長屋の面倒見の良いおじさんで、時に友であり、時に師でありと立場を変えながら旅をする。立場は変われど、常に「巡礼者の側にいる」という所は変わりがない。方角や次の目的地について巡礼者と相談をしながら、旅を進めるのだ。
医療も同じ事だと私は思う。我々医療者も、状況に応じて役割を変えながらも、『答え』に向かうべく、折を見て相談し意見を交わしながら患者さんと共にあるよう心がけている。「先達さん」でありたいと私は思っている。
旅好きな方の中に、「目的地に着くまでが旅の醍醐味だ」という方もいる。恐らく医療も同じである。『答え』に至るかどうかはもちろん大切な事ではあるが、最も大切なことは「『答え』に至る過程を経ること」なのではないかと考える。実のところ、どんな薬を処方するより患者さんと一緒に「病い」を克服する過程を探ることが一番の治療になる事も存外多いのだ。
『答え』が出ず、停滞する事を恐れる方もいるかもしれない。自分も停滞や後退する場面に出くわすと「本当にこれで良かったのだろうか?」という気持ちになる。そういう時は自分にも患者さんにも以下の様な言葉をかける事にしている。「そんなに心配しなくても良いじゃないか。今はただ『進むべき時』ではなかったということ……『目的』に向かう意思を持てばいつかは道が拓けるのだから」と。
Author:小原亘顕
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