ゆるい読書会「羊と鋼の森」
11月21日に「ゆるい読書会@とっとり」を開催しました。本イベントは鳥取大学医学部地域医療学講座が主催し、学生・社会人をまじえて、医療に限らない幅広いジャルの文学や本を読んで感想をゆるくシェアする会です。
今回は宮下奈都さんの『羊と鋼の森』(文藝春秋)を課題本として参加者で語り合いました。この小説はピアノ調律師が主人公の物語で、2016年に第13回本屋大賞で大賞に選ばれており、2018年に映画化もされています。ピアノの調律という繊細な世界の表現と、主人公をとりまく人々との心の交流や、調律師として成長していく過程が、詩的な表現で美しく描かれています。
今回の参加者からは「人生に『無駄』はあるのか?(無駄ってなんだろう?)」とか、「双子の姉の『私はピアノを食べて生きていく』の意味は?」といった問いが出ました。
そもそも、人生に「無駄」はあるのか。ちょっと遠回りと思えることでもすべて無駄ではないのではないか。芸術は生きる上では無駄な(必須ではない)こと?でも、その無駄自体を楽しむことが人生なのではないか。「ピアノを食べる」の意味は、ピアノが手段ではなく、生きることと同じ意味、生きる目的であるという意味ではないか、という意見が出ました。
筆者が面白いなと思ったのは、ピアノの基準となる「ラ」の音が、昔(モーツァルトの時代)は422ヘルツだったのが、今は440ヘルツになっており、さらに442ヘルツにとされることもあるとのこと。時代とともに基準音が高くなってきており、それは時代によって私たちの価値観の参照枠組みが違うということ、そして、そのことに私たちは気づきにくいのだということを示しているようにも思えます。調律師という仕事が一見目立たない職業でありながら、そうした微妙な社会の差異に気付いていく繊細な仕事なのではないかということを象徴している部分のように思えました。
(孫)