ゆるい読書会「華氏451度」
10月3日に、レイ・ブラッドベリの「華氏451度」を課題本に、ゆるい読書会@とっとりを開催しました。
学生3名と教員2名の5名で、じっくりと対話を行いました。
「華氏451度」は1953年に書かれたSF小説で、いわゆるディストピア小説です。その近未来の世界では、本を持つことが禁止されており、本を持つ家があるとファイアマン(昇火士)が家ごと燃やしに行くのです。
しかし、本当に怖いのは、人々が禁止されているから本を読まないのではなく、すでに活字文化が失われており、人々はテレビや娯楽に夢中になって活字から離れてしまっています。まるで2021年の現在、人々がスマホやSNSに夢中になり、本を読まなくなってしまった世界を予言しているかのような小説となっています。
参加者の対話の時間にはこんな話が出ました。
「ディストピア小説だけど、絶対的悪の権力者がいるわけではなく、大衆が反知性に向かっていった結果の世界」
「ドラマチックな展開、現代文明批判、1953年に書かれたとは思えない未来像。SNSで活字から離れている現在を彷彿させる世界」
「当時の核戦争の現実感:エンディングは核の爆発かも、という意味では納得できる。ヨハネの黙示録のオマージュにもなっている」
「臭いものに蓋をしている感:煩わしいことは焼いて破壊してしまえる、現代ではそもそもポリコレ的にダメなものは世に出さない」
大衆が、権力によって監視されるディストピア小説とは違い、大衆自体が反知性主義へと向かっていくというのがこの小説の特徴ではないか、そして、それが現代と酷似しているという感想が多く出ました。
気に入ったフレーズでは
「細部を語れ、生き生きとした細部を。すぐれた作家はいくたびも命にふれる。凡庸な作家はさらりと表面をなでるだけ。悪しき作家は蹂躙し、蠅がたかるにまかせるだけ」(フェーバー教授)
「われわれにはひとつ、不死鳥が持ちえなかった美点がある。われわれは、自分がいまどんな愚行を演じたか知っているという点だ」(グレンジャー)などが挙げられました。
本書は、我々が反知性主義(実証性や客観性を無視し自分の考えや意見に合うものだけを受け入れる姿勢)に陥らないために、いかに読書文化を維持するか、とても示唆的な本だと思います。
(孫)