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2411月 2017

シリーズ「地域の人たちと地域医療学」-看取りとこれからの準備について

鳥取大学地域医療学講座発信のブログ「地域と医療のいま」です。
シリーズ「地域の人たちと地域医療学」では、実際に県内外でおこなった講演や地域の人たちとの対話をつづっています。
執筆、講演、研修、取材の依頼はお気軽にこちらからお問い合わせください。

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2017年11月24日(金)、鳥取県内の中山間地域の代表ともいえる日野町根雨地区にて、地域ぐるみの介護予防事業「ぽかぽか教室」を開催いたしました。

日野町には、地域医療学講座の医師たちが「総合診療科」として診療を行っている「日野病院」があります。

今回の「ぽかぽか教室」のテーマは「看取りとこれからの準備について」。日野病院で週1回外来診療の担当をしているわたくしが講師を務めました。
当日は、地域の方たち10名、鳥取大学医学部保健学科看護学専攻の学生4名、日野町役場のご担当者2名に参加していただきました。

「死」を覚悟した、そのあと

「死の瞬間」を受容するまでの人間の心理プロセスは、とても複雑です。
キューブラー・ロスによる5段階モデル(死の受容モデル)というものがあります。

第一段階 死ぬなんて信じない(否認)
第二段階 なぜ自分が…!(怒り)
第三段階 なんとかならないだろうか(取引)
第四段階 何もやる気が起きない(抑うつ)
第五段階 死にゆく自分を受け入れる(受容)

この中で「第五段階 死にゆく自分を受け入れる(受容)」のプロセスになったとき―終末期は、約70%の患者が、意思決定が不可能になるのでは、と言われています。
話すことができない、動くことができない状態では、自分自身がその場で意思を伝えることはとても難しくなります。

その場合、意思決定権者は「家族」と「医師」となることが多いです。

例:93歳女性 徐々に認知症が進行し、寝たきり。食事をだんだん食べなくなってきた。
そんなとき、医師が考えることは以下のようなことです。

食事がとれなくなり、動けなくなってしまった患者に対して取れる選択肢は多くはありません。
終末期に点滴や胃ろうをおこなっても「寿命は延びない」ことが分かっています。

しかし、そのように説明したところで、家族や近しい人の心情からすれば「①何もしない」は選びたくないでしょう。
とはいえ、採血をし、体を開いて「③何もかも調べて治療」するのも見たくない。
となると、「②点滴ぐらい」しておこうか……という選択をされる方が多いような気がします。

しかし、その選択は、いったい誰のための選択なのでしょうか。
患者本人のためになっているのでしょうか。

この選択でよかったのだろうか。
本人が本当に望むことはなんだったのか。

自分の意思を伝えることができなくなった患者の姿を見て、このように思い悩んでいるご家族をたくさん見てきました。

元気で生活するために処置をしているはずなのに、患者も家族も医師も心苦しい。これではいったいなんのために治療しているのか、分からなくなってきます。

生き方/死に方の希望「事前ケア計画」

健康なとき、人は自分がどのように死ぬのか、などとは考えません。
しかし、いつ、どんなタイミングで何が起こるのか、それはだれにも分からないのです。

いざ、家族が脳卒中で倒れた、通院して薬を飲んでいたが容体が急変して意識がなくなった、そんなときに「さあどうする」と考えても、医師も家族もなかなか判断がつきません。

「いったい本人はどうしたいのかな」
「治療をしてほしいかな、それともこのままがいいのかな」
「このまま亡くなってしまったら……」

このように堂々巡りになってしまい、家族間で意見が割れてしまうことも少なくありません。

もし、自分が意思を伝えることができなくなったとき。
家族に迷惑をかけたくない。
家族に伝えたいことがある。

そんなときのために事前ケア計画(Advanced Care Planning)という考え方があります。

「エンディングノート」や「終活」という言葉をよく耳にするようになりましたが、これらも事前ケア計画の一種と言えます。
いざというとき、どんなふうにケアをされたいか、自分が死んだあとにどんな葬儀をしてほしいか、残っている資産はどのように処分したいか。

健康なときはなかなか意識することがないし、話をすることもはばかられるような気がするかもしれません。
でも、健康だからこそ「自分はこう生きたい」「こう死にたい」とはっきり意思決定ができるのです。

「看取り」と聞くとなんとなく覚悟が必要ですが、家族のため、自分のためにまず考えてみてください。
生きがいは? やり残したことは? 残る人たちには?
あなたはどんなふうに生きて、そして死にたいですか?

医療は常に「生活のため」にある

最後にお伝えしたいことがあります。

わたしたちは、皆さんが「よりよく生きるため」に、医師として医療行為にかかわっています。
皆さんが「こう生きたい」「こう死にたい」という思いをないがしろにすることは絶対にしたくないと思っています。
どんな決断をされても、どんな希望であっても全力でサポートをしたい、そんなふうに考えています。

死を考えることは、同時に今を生きることをどう考えるのか、ということにつながっています。
ぜひ、考えてみてください。

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