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38月 2018

医療から見た生老病死

鳥取大学地域医療学講座発信のブログ「地域と医療のいま」です。
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〜「治療」ではない「満足な最期を迎える」とは 〜

講師 鳥取大学医学部 地域医療学講座 教授 谷口晋一

今回は、私が医師の立場から自身の経験を元に「看取る」ということについて、お話させてもらいます。

二十数年前、私の父にガンが見つかったとき、私は医師という立場で父を家で看取る決心をしました。当時、大学病院に勤務しており医師としての経験もある程度あったので、自分一人で何とかうまく看取ることができるだろうと、心のどこかで思っていました。しかし、その自信とは裏腹に、いざ日々弱っていく父を目の前にすると、何もしてあげることのできない自分が情けなく、無力感に打ちのめされました。むしろ、医学知識のない家族や親戚のほうが、何か食べられるものはないかと探したり、冗談をいったり、温かい声かけをするなど、医師の自分よりよほど父の気持ちを支えているのではないかと感じました。

この経験から、必ずしも医学的な知識を持つことが看取りに必要なのではなく、その人自身に寄り添う思考、またそれまでの関係性の積み重ねが重要であると気付いたのです。

「看取る」ことに対する日本と海外の考え方の違い

看取りの意思決定に関して、日本では、本人に次いで息子をはじめとした家族が主導権を持つことが多いですが、海外では、イギリスのようにあくまで本人の意思を尊重する国もあります。

日本や韓国では、自分で意思表示のできない患者(ex.重度の認知症)を、まだ終末期とはとらえないという意見が多いですが。イギリスやフランスではこういう患者はすでに終末期と考えるのが一般的です。
このような「看取り」に対する考え方の違いは、各国の医療制度の違いに由来するようにも思います。

日本:
専門医(Specialist)が基本
イギリス:
家庭医(General Practitioner)が基本

 

日本では、専門医にかかることが一般的なので、結果として病院での死亡が大半を占めます。看取りについては、家族などまわりの決断に委ねることが多く、「和」や「思いやり」を大切にします。一方、イギリスでは、保険医療を国(NHS:National Health Service)が管理しており、基本的に各人の家庭医(かかりつけ医)が決まっています。NHSによるシステムの構築や管理運営が優れており、その背景には個人との契約精神が尊重されているように感じます。イギリスでは、できるだけ患者自身が決定するというのが一般的で、自宅療養を希望される方が多いようです。

いずれの医療制度がより正しい、ということではありません。ただ、これからは日本では、イギリスの家庭医のように、すべての住民が身近で信頼をおける医師と繋がり、コミュニティー全体で「看取りが自然になる文化」を築きあげていく必要があると思います。鳥取大学は、平成26年に日野病院に地域医療総合教育研修センターを設立し、地域社会を理解し、看取りも含めて医療面から貢献できる総合診療医の育成を目指しています。

最後に、「看取る」ことについてみなさんにお話ししたいことがあります。

未だに、多くの人が「死は、どこまでも避けるべき悪である」という思い込みをもっています。しかし、死に至る最後の生( Dying )は正常なプロセスです。誰にでもかならず訪れるひとつの状況であり、必ずしもネガティブな時間ではありません。
私は、医師、家族の両方が「死は悪である」という思い込みから解放され、患者が「満足な最期」を迎えられるように協力しあうことが大切だと感じています。

皆さんも、ぜひ「看取り」について考え、家族と話し合ってみてください。

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