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212月 2022

追憶のおこわ

鳥取大学地域医療学講座発信のブログです。
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最近、無性に食べたいものがある。「大山おこわ」である。

大山おこわとは県西部の郷土料理で、鳥取県公式サイトによると「大山山麓の食材を使用したしょうゆ味のおこわ」である。「使用する食材は家庭によってまちまちで定まったものはない」らしい。通っていた県中部の小学校の給食に出てきた記憶もあり、郷土料理として一定の知名度を得ていると思われる。

秋、ふらりと行った大山のお土産屋さんで大山おこわを見つけた。うすいしょうゆ色と山菜に郷愁をかられて購入し、鳥取まで持ち帰り、わくわくしながらレンジにかけて、一口。
「……?」
そのとき、「あ、これこれ、よくある味」と「これじゃない……」という相容れない二つの思いが頭の中で交錯した。
食べたのは、だしベースのやさしいしょうゆ味の、いわゆる炊き込みごはんみたいなおこわである。確かに給食で覚えのある大山おこわだ、と頭は理解しているのだが、心の奥底ではもっと味が濃くてパンチのあるおこわを求めていた。それは、あるお母さんが何度も作ってくれた大山おこわだった。

 

 

あのお母さんが作ってくれた味

学生時代、とある医療系の部活動に入っていた。中山間地の集落に出向き、フィールドワークをベースにして地区診断をし、医療だけでなくさまざまな面で住民の健康増進を図るという部活である。お堅い部活に思われがちだが、合宿などで生み出される一体感や住民の方々との和気藹々とした雰囲気が心地よく、地域医療ブームも相まって、私が在籍していたときは活動する集落を増やさないと足りないくらいの部員数を誇っていた。
主に活動していたのは「奥大山」と呼ばれる江府町。学生時代に3つの集落でのフィールドワークを経験した。
住民の方々との交流は、インタビューや健康教室だけでなく、集落の行事への参加もあった。むしろ行事に参加した方がざっくばらんな話ができて、普段の活動だけでは見えてこない「いつもの生活」が垣間見えるし、集落として大切にしていることもわかるので毎回楽しみだった。行事も集落によって様々で、運動会、お祭りなどいろいろあった。
ある集落では、夏の運動会と冬の門松づくりがあり、その集落での活動が終了しても参加を続けていた。部員も気さくな住民の方々が好きだったし、集落からも若い力を借りられると喜んでいただき、毎回楽しみな行事だった。
その集落では、行事のあとに毎回バーベキューをご一緒していた。猟師さんが取っておいてくださったイノシシ肉がメインで、焼きそばをしたり、ストーブで赤貝を焼いたり、門松で余った竹で熱燗を作っていたりとなかなか自由な場であった。コロナ禍の今では想像できないが、住民さんの隣に座り普段の生活のことや若い頃のこと、街に出ているお子さんやお孫さんのことなどを聞けるのはとてもいい経験だった。

と、とても回り道をしたが、ここで本題である。例の忘れられない大山おこわとは、この集落のお母さんが作ってくれたものなのだ。色も味も濃いめで、お米がつやつや。コーンや自分の山でとれたきのこなど「あるものを入れたのよ」と笑いながら、毎回大きなボウルいっぱいに家から持ってきてくれる。私たち学生はこのおこわが好きすぎて、おこわのおにぎりを作るときは飛びつくように集まった。わざと大きめのおにぎりを作ってこっそり持ち帰ったり、つまみ食いしたり。お母さんと一緒に握りながら誰のおにぎりの形が一番いい・悪いだの言い合っていたときがとても楽しかった(もちろん住民さんとのお話も大好きでした!)。

 

 

過去の私に見えていたこと、今の私に見えるもの

私が求めている「あの大山おこわ」は、これなのである。
レシピを聞いておけばよかった、と後悔するも先に立たず。お母さんの家の場所はなんとなく覚えているが、一部員のことなど覚えてらっしゃらないだろうし、このご時世にうかがうなどとてもできない。

そんなときに、実家の母から2合分のもち米をもらった。
「何にすればいいの」と聞くと「おこわにでもしたら」と。
もちろん「あの大山おこわ」が頭をよぎったが、先述の通り作り方がわからない。レシピを検索してみたが、どれを見てもだしベースのやさしい味になりそうで「多分これじゃないな」となる。
だからといって他のおこわなり赤飯なりを炊いても、ここまで「あの大山おこわ」が食べたかったら不完全燃焼になりそうだ。作れないなら作れないで食べたい欲が出てくる。うーん、悪循環。

だけど、何とかして「あの大山おこわ」のレシピが手に入ったとして、求めている味になるのだろうか、とふと思った。あの味は、「あの大山おこわ」のあった思い出でさらに味付けされているのではないだろうか、と。
大病院で専攻医をしている今は「医者と患者」という関係からなかなか抜け出せない。でも当時は「学生と住民」というフラットな立場で話ができた。フラットだからこそ聞けた話もたくさんあった。それは、住民の方々の人生観や病気との付き合い方、大切にしているもの、家族、生きがいなど、「ひととなり」が溢れていた。だが、これが「医者と患者」の関係になると、そういった話を聞き出すのがとても難しい。でも、その「ひととなり」に、実は治療や問題解決の鍵があったりするのだ。それが医者になって身を以てわかるようになった。だから本当は目の前の患者の「ひととなり」を知りたいのに、自分の実力不足でなかなかたどりつけない。そんな「今だから価値がわかる、当時気軽にできたこと」という歯痒さに、一緒になって競争したり作業したりといった楽しい思い出が加わって、「あの大山おこわ」が記憶の中でとってもおいしく味付けされているのではないか。だから多分、どうやっても私はその味を再現できないのだ。

ということで、私の家の炊飯器の横にはずっともち米が置いてある。期限がくるまでには何かしらの形で食べようと思うのだが、結局何を作ればいいのかわからなくなってしまった。でも、見るたびに「あの大山おこわ」を思い出せるから、もう少しこのまま置いておこうと思う。

Author:竹安つばさ


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